
劇団クセックACTが最後に選んだ作品
セルバンテスへのオマージュ
狂気を演じ続けて

ドン・キホーテ
劇団クセックACT2025 名古屋公演
ミゲル・デ・セルバンテス 原作
田尻陽一 翻訳・構成・脚本
神宮寺 啓 構成・演出・舞台美術

ありがとう、そして、さようなら
ドン・キホーテ 千秋楽の夜 お客様から1通のメールが届いた
「ドン・キホーテは誰の中にもいる。勿論 私にも。 ドン・キホーテ度はその人、その時によって違うが…。人生は埒が明かない冒険なので… (これから)私は、内なるドン・キホーテとともに偶然と必然の間を逡巡し、私なりの新しい日を迎えら れるよう精進しよう。埒を明くことばかりを考えるより、埒の明かない人生を楽しむために。」と書かれていた。
こんな嬉しいメッセージに僕はびっくりし、飛び上がった。それはドン・キホーテの狂気という仕掛けをして、観客自身の “新たな汝”を見い出し、主体的な行動を誘うセルバンテスの意図に沿うものであったからだ。
人間のなすことを簡単に価値づけることなど不可能で、とかく人間のモノサシ、社会共通の価値観など「道から外れない」感覚は自分が考えて動く、自発的に行動する姿勢の欠如につながりかねないものだ。
人生は自由度のある作品である。「人間の生涯は芝居であるからいかなる役割であれ、得るところはあるものだ」(カルデロン・デ・ラ・バルカ「世界大劇場」)と先達者は語る。
人の生涯の失敗・成功の観念など空虚なものだ。秀でた舞台や、感動するスポーツの競技を見る楽しみは、集中すると演ずる者も、スポーツ選手もこんなにも自由になれるものかと思わせることだ。彼らの身体が、その場で生きる楽しさの極限を瞬時に感じさせるその醍醐味、観客はそういった人生の瞬間を舞台やスポーツに垣間見ようとするのだ。
だから舞台の言葉のよそよそしさや、うわべをなぞる違和感、シラけた気分にさせる喋りはもうやめよう演ずることは不可能だという原点に立って、役者が語る言葉と、その身体のあり方などと、どうかかわりあっていくのか、という洗い出しから始めたらどうだろう。
去る者は日々に疎し。劇団創立45年の僕らの劇団活動の実績も、すぐに人々の過去の思い出になってしまうだろう。
これからの演劇は、未来に向かってどう変貌していくのだろうか、そして何がそこに必要なのか。 今年は僕にとって本当に一区切りの時代であった。これからは再び新しい時代を生きるための第一歩を踏み出さざるを得ないと覚悟している今です。 観客の皆さま、本当に長い間のご声援、ありがとうございました。感謝のみです。
劇団クセックACT 代表 神宮寺 啓


全公演、終了いたしました。
多数のご来場に感謝申しあげます。
5月2日(金) 午後7時
5月3日(土) 午後2時 / 午後6時
5月4日(日) 午後2時
5月5日(月) 午後2時
受付開始、整理券配布は開演の1時間前
開場は開演30分前
※満員の際は入場をお断りすることもございます。
各回上演終了後
田尻陽一 (翻訳) VS 神宮寺 啓 (演出)
『ドン・キホーテと狂気』と題して
毎回アフタートークを開催
愛知県芸術劇場小ホール
愛知県芸術文化センターB1
前売/一般 3,000円 学生 2,000円
当日/一般 4,000円 学生 3,000円
(中高生含む)
| キャスト
榊原忠美
加藤由以子
大西おに
斉藤弥生
吉田憲司
清水絵里子
鈴村一也
吉川統貴
平井智子
山田吉輝
川瀬結貴
安部火隕
大崎勇人
永野昌也
今枝千恵子
| スタッフ
舞台監督: 鈴木寛史
照明:花植厚美
舞台写真:大脇 崇
音響:田中 徹
衣装:まさきよしこ
記録:ミックスプロ
映像制作:伊藤貢 大塚千紘 小林裕揮 上島し乃 大石雅紀
宣伝美術:小島久弥
制作:劇団クセックACT
| 後援
スペイン大使館
愛知県
名古屋市
インスティトゥト・セルバンテス東京
愛知県教育委員会
名古屋スペイン協会
| 協力
啓光社ホールディングス(株)
(株)バモスクルー
鬼頭印刷(株)
(株)アースウイングミュージック
PAP・でらしね
サポート・プラス
B Stage
(有)おうむ
作者紹介
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547-1616)は、小説『ドン・キホーテ」の著者として知られているスペインの作家。スペイン語における世界的な文学者のひとりであり、同時代や後世の作家に多大な影響を与えた。
作品について
『ドン・キホーテ」前編の小説構造は実に「雑」である。ドン・キホーテとサンチョ・パンサの冒険譚以外に、羊飼いの娘マルセーラに振られたグリソストモの失恋物語、突如として語り始められる「愚かなもの好きの話」、フェルナンドのドロテアへの恋の誑かし、幼いルシンダとカルデニオの純愛、「捕虜の身の上話」、ルイスとクララの拙い恋物語、レアンドロがビセンテに騙される結婚詐欺など、種々雑多な話が詰め込まれている。後編を書くにあたりセルバンテスはこういった挿話を省き、ドン・キホーテとサンチョの二人を主人公にして物話を展開しているが、前編のドン・キホーテと後編のドン・キホーテとでは違う人物のように思える。ズバリ言えば、後編は読者から期待されるドン・キホーテを主人公に据え、人から狂っているといわれる頭脳で、彼の騎士道論(正義とは何か、何をもって正義というか)、歴史論(歴史とは物語なのか事実なのか)など、明晰な思索を語りたいだけ語らせている。
もしかしたら、それは、主人公に同化した作者セルバンテス自身の考えなのかもしれない。そういう点からみれば、セルバンテスは自分が期待していないドン・キホーテを前編で無責任に書き始めたので、荒唐無稽な冒険譚が存分に書けたのかもしれない。ただ『前編』「後編」とも首尾一貫しているのは、ドン・キホーテの「狂気」である。
そして、この本を読み進めていくうちに、「あの人はおかしい、狂っている」という人は「おかしくないのか、狂っていないのか」、その人こそ「おかしいのではないか、狂っているのではないか」と思わせる。さて、あなたはどちらだろう?
ついにその日がやってきました。
劇団クセックACTの解散であり
ファイナル公演です。
劇団員がさほどいる訳ではありませんから、決して仲間割れによる解散ではありません。ともかく、皆さんの声援を背に、設立から45年と言う年月を劇団が駆け抜けてきた歴史は重いものだと感じています。
代表で演出家の神宮寺啓が、いみじくもつぶやいた一言「今度、何やろうか」……!?
この言葉が引き金となり劇団の解散を決めました。もしかして、やめるやめると言ってやめない“クセックの解散詐欺じゃないの!?”とも囁かれていますが、残念無念!どうやら詐欺ではなく、こうしてお伝えする最後の時間というわけです。
解散に至る経緯ですが、これまでガルシア・ロルカやセルバンテスなど、スペインの作家を中心に公演を重ねてここに至たり、我々がやりたい、やろうとした作品は全てやってきたと言う思いに達したのです。そんな思いから神宮寺は、「今度、何やろうか……!?」と、呟いたのでしょう。
解散公演は我々の血肉となっているセルバンテスの『ドン・キホーテ ・・・狂気を演じ続けて・・・』です。 この作品は、2001年の「第一回愛知県芸術劇場演劇フェスティバル」、2005年「愛知万博スペインパビリオン主催」での公演。2017年は「セルバンテス没後400周年記念」の一環として上演。そして今回が4度目の舞台となる正真正銘“嘘偽りのない解散公演”。つまり、我々にとっては全てやり尽くしたという思いを抱く公演でもあります。
そういった感慨を一方に持ちながら、我々が追い求めてきたドン・キホーテの狂気に寄り添っていきます。演出の神宮寺啓は、こう語ります。
「『ドン・キホーテ』の台詞に、「わしは狂人を演じるつもりだ……」と言う台詞があるが、ドン・キホーテの狂気には愚弄しているものが実は愚弄されていると言う逆転の意味、アイロニーの構造が潜んでいる。ドン・キホーテ自らが狂気を演じることで起きる事件を介して作家セルバンテスは、現代を生きる僕らに何を訴えているのかを自問自答してみたい。」これまでも幾度となく狂気? に対峙してきた神宮寺には、もしかしたらドン・キホーテが憑依しているのかも知れません。
一方、翻訳・脚本の田尻陽一は、
「これまで我々は、「『ドン・キホーテ』のストーリーではなく、作家セルバンテスのテーマを表現してきた。狂気性の集大成として、今回は「・・・狂気を演じ続けて・・・」をサブタイトルに加え、ドン・キホーテの“二重且つ三重なる狂気”に向き合っていきたい。このサブタイトルはクセック向きでしょう!?」
今回の公演は、単なる再演をなぞるのではなく、新たな出会いを求める『ドン・キホーテ』!!
舞台に立つ役者15人は、それぞれの思いを持ちつつ舞台に挑みます。 今回の公演は日時指定となっておりますので、お越しくださる日時をご連絡下さいますようにお願いいたします。
2025年2月 劇団クセックACT制作部
動く絵画

舞台映像・写真集

