CARMEN R. SANTOS記者
2024年7月8日 13:15配信
”ドン・フアンは日本語を話す”
日本の劇団クセクACTは、スペイン人作家の普及に貴重な貢献をしている。最近の例では、ティルソ・デ・モリーナの『セビーリャの色事師』がアルマグロ国際古典演劇祭で上演された。 少し前に、マドリードのバジェ=インクラン劇場で、日本の劇団クセックACTによるフェデリコ・ガルシア・ロルカの『観客El público』を楽しむことができた。そして今回、アルマグロ国際古典演劇祭が催されるなかで、重要な劇場の一つであるアルマグロ市立劇場で、ティルソ・デ・モリーナ作の『セビーリャの色事師と石の客人』が上演された。劇団クセックACTは約15年前、ここアルマグロで『フエンテオベフーナ』を上演し、好評を博した実績がある。
名古屋を本拠地とする劇団クセックACTは、舞台演出家の神宮寺啓と、スペイン古典・現代劇作家の翻訳家である田尻陽一によって、1980年、名古屋に設立された。この2人の実りある共同作業は、劇団員とともに、日本におけるスペイン劇作家の普及という並外れた仕事を長年にわたって展開してきた。バジェ=インクラン作『リガソン』に始まり、スペインの偉大な劇作家たち(アグスティン・デ・ロハス、ロペ・デ・ベガ、カルデロン、セルバンテス、ガルシア・ロルカ、アレハンドロ・カソナ、フェルナンド・アラバールなど)を日本の観客に紹介し、同時に、批評家や観客から好評を博し、スペイン各地の演劇祭や主要な劇場で上演活動を続けてきた。
『セビーリャの色事師』は、スペイン黄金世紀演劇の最高傑作のひとつである。その作者については、異論はあるものの、多くの研究者は、ティルソ・デ・モリーナ(マドリード1579年生まれ - アルマサン1648年没 - ガブリエル・テレスの筆名)の作品とする傾向にある。メルセデス会の修道士によって創造されたドン・フアンは、ラミロ・デ・メストゥが著名なエッセイのなかで言及しているように、「ラ・セレスティーナ」や「ドン・キホーテ」に並ぶ、スペイン文学の三大人物像の一人になった。
国内外を問わず、ドン・フアンにアプローチした人物は枚挙にいとまがない。モリエール(1665年)、カルロ・ゴルドーニ(1735年)、バイロン卿(1824年)、ホセ・ソリーリャ(1844年)などがいる。一方、オペラでは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』(1787年)、リストの『ドン・ジョヴァンニの回想』(1841年)などがある。同様に映画でも、色男の代名詞となったドン・フアンを扱った作品は、イングマール・ベルイマンの「悪魔の眼」(1960年)、ロジェ・ヴァディムの「もしドン・ファンが女だったら」(1973年)、フランシス・フォード・コッポラ製作、ジョニー・デップ主演の「ドン・フアン」(1995年)など、数多くある。
しかし、おそらくティルソ・デ・モリーナの作品ほど、主人公のドン・フアンに対して性的快楽を求めて女性を誘惑しているが、その先に、形而上学的な背景として神の恩寵と贖罪について深淵な問いを投げかけ、神の恩寵と贖罪について完全に理解できるようにしている作品はないのではないだろうか。
劇団クセックACTの舞台は、スペイン語の字幕付きで日本語で上演されたが、17世紀初頭に発生した日本の伝統演劇であり、人類の無形文化遺産にも登録されている歌舞伎の伝統を生かしたスペクタクルな作品であった。また、表現主義的なタッチや、ギリシャ古典演劇の本来の意味を思わせるユニークなコロスの登場が、舞台演出上のインパクトを非常に高めていた。
ユニークで特異な演劇体験を味あわせてくれた絶妙な舞台
質素だが想像力に富み象徴的で反レアリズム的な舞台装置、衣装、照明、音楽(それぞれ、神宮寺啓、まさきまさこ、花植厚美、中川光宏が担当)は、劇団クセクACTの舞台が、生と死のきわどい繋がりを浮き彫りにすることで、見事にまで表現した儀式的な側面を強調するのに、重要な役割を果たしていた。 1911年、吉井勇という作家が、17世紀のスペインの騎士に扮したドン・フアンが登場する『河内屋与兵衛』という歌舞伎の戯曲を書いたのだが、放蕩息子を彷彿とさせた神宮寺啓の演出は秀逸であった。一方、この戯曲の翻訳者である田尻陽一は、
ドン・フアンが持つ反社会的な性格を巧みに際立たせていた。
演出は神宮寺啓、翻訳は田尻陽一。出演は山田吉輝、吉田憲司、榊原忠美、永野昌也、平井智子、今枝千恵子、清水絵里子、加藤由以子、斎藤やよい、大西おに、安部火韻。
劇団クセックACTによる『セビーリャの色事師』は、私たちにユニークで特異な演劇体験を味わわせてくれた絶妙な舞台であった。
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